前田ママは、京都に住んでいるのだが、ママと同級生であることもあり、
ご主人と出かけるのが好きなこともあり、滋賀の近くに来ると我が家に
寄ってからミニバンを駆って、夕刻戻っていく。
その間、概ね4時間。
慌ただしく入ってきた前田ママの後から、鬚面のご主人がのそりと
現れた。チョット、恐い様に見えるけど、これが、無口で、優しい人で、
これだけ顔と気持ちにがギャップがある人も珍しい。
前田ママの第一声。
「今日は、大変だったのよ!途中の道が混んでて、全然、進まないし、
一本道だから、降りるわけにも、行かないし、散々よ」
「最近は、土曜日は凄いのよ」ママの適当なご返事が続く。
「今日はね、近江八幡にある休暇村でお風呂に入って、食事して、、、」
「今度、秋頃、また、シニアの演劇があるから切符送るわね」
「お店の方は、息子が頑張っているけど、チョットやり方が
下手でね、お客さんから文句も出るし、ドウショウ?」
「最近は、60を越すと、店で立つのも、しんどいね!」
ここで、初めてママにご質問あり、ここまでの所要時間約20分。
前田ママは、一気に近況報告をしている。
「ママの方は、最近、どうなの?」
「私も、最近はチョットお疲れよ!年寄り相手では、ホントに
疲れるわ」
前田パパと主人は、その間、横で閑そうな顔をして、大人しく
2人の会話を聞いているのみ。
ハナコが、周りの雑音がうるさいとばかりに、大きなあくびをして、
何時ものように、尻尾フリフリ出て行った。
少し、前田夫婦の説明をしておこう。
前田ママは、京都の自宅の横で、喫茶店をしている。前田パパは、
一応、定年退職したが、公務員の良さか、天下り的な職場で、
ノンビリとお仕事。ママは、シニアの演劇グループで、主役級の
役回り、結構乗っているようである。パパの方は、実家の農家を
手伝いと庭木の手入れが趣味、いずれも、話すことが必要ない
毎日でもある。
夫婦とは、上手く出来たもので、2人が無口だと、中々、その場が
盛り上がらないものであるが、前田ママの方は、一度話し出すと
30分ほどは、彼女の独壇場でもある。前田のパパは、いつも、傍で
ニコニコと、まあ、布袋様のように聞いている。
ある作家の先生が書いた猫の気持の中で、
「人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、
浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰労を求めつつあるのか、
ちっとも分からない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交じりたいのか、
下らぬことに癇癪をおこしているのか、物外に超然としているだかさっぱり
見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ
寝る。怒る時は一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などと言う
無用なものは決してつけない。、、、、吾等猫続に至ると行住坐臥、行し送尿
悉く真正の日記であるから別段そんな面倒な手数をして、己の真面目を保存する
には及ばぬと思う。、、、、
人間の日記の本色はこういう辺に存するかも知れない。
先達ては、朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから止めてみたが、、、、、
これからは毎晩二三杯づつ飲むことにしよう。
これも決して長く続くことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく
変化している。何をやっても永続のしない男である。その上日記の上で胃病を
こんなに心配している癖に、表向きは大いに痩せ我慢するから可笑しい。」
とある。主人にしても前田のパパにしても、人間の分からないことは多い。
主人と付き合いの深いチャトでも、時たま、この人は何を考えているの、
と思う事がある。増してや、我が家に時たま顔を出す人間は、なんとなく
安全パイの人間とは思うが人間のずる賢さに悩まされてきた猫族にとっては、
その本音を知るのは中々に骨の折れる事でもある。
前田パパが、スーと立って外へ。先ほどから、我が家の小さな庭
にある梅の木が気になるようである。
主人は、寝ているか起きているのか、分からない何時もの目で、
ニコニコと2人の会話を聞いている。
人間とは、不便なものである。
これを愛想使いと言うのだが、聞きたくも無い話を辛抱強く
聞いている。
げに不思議。我々猫族なら、「お前、何をしたいの?」
の極めて簡単フレーズで、終わる。その所要時間約2秒。
しかも、この長さは、猫族にとっても、中々にヨロシクナイ。
上の4人は、腹が減ってきた。
ライ 「チャト兄貴、腹が減りましたね!」
チャト「お前は、直ぐに腹が減るんだから、少しがまんし」
レト 「でも、私も腹減った」
腹減りの大合唱です。
しかし、下のご飯を食べに行くには、前田ママの直ぐ横を
通る必要がある。
行きたいけど恐い。恐いけど行けない。
ライは迷っていた。時に、腹が減るのが早いライにとって、
そろそろ我慢の極限に近づいていた。
一歩、そろりと足を出し、様子を見ては、後づさり。
まるで、獲物を狙う虎の如しである。
「あら、あなたはだれ?」突然、ライの頭の上から大きな声が
した。前田ママがライに気付いた。
暫し、ライは、右足を上げたまま動けなくなった。
「やばーーー、うるさいのに、見つかった!」
そこで、かのライさん、例の黄金の微笑を返す。
眼を大きく見開き、じーと前田ママを見た。
「うわー、この子、可愛いわね!私をじっと見てるわ」
ライ、突然身体が浮き、前田ママの膝へ、クレーンが荷物を
運ぶが如く、膝へ直行。
人間との付き合いで、犬族は、猫族よりも、大分長いと、
我が家に来る犬好きの太田さんがよく言っているが、猫族
は、大昔の奈良時代に中国から来たとのこと。
これは、猫好きなある大学の先生が言っていたのだから、
確か、もっとも最近の「確かは不確か」にも通じているよう
であるが、とは思う。それ以来のお付き合いなのだが、
猫族にとって、まだまだ人間は不思議な生き物である。
例えば、今の前田夫婦の話しである。広島での水害被害、
福島の震災復興の遅さ、ガソリンの高騰、小学生の女の子の
殺された事件、など話題は猫族の頭の容量を越すほどである
のに、この数時間、全くそんな話が出てこない。
我々猫族の間でも、隣のトラさん、愛しの三毛さん、結構
井戸端会議、猫族では塀会議で、話題になっているのに。
取り留めのない話が数時間、続いた。
これで、人間たちは、お互いが満足し、「今日は来て良かったわ」
「結構、楽しい時間でした」「また来るね」と終わる。
既に、前田ママの膝から開放されたライ、他の4人は、既に、
その周りでお食事中だが、何が良かったのか、楽しかったのか?
猫族には、さっぱり不明。
もっともチャト曰く、これが人間世界よ!
なるほどと頷く、4人。
既に、外は、黒い帳の中に、僅かに光る街灯と家々の窓辺の光の
世界である。夏の暑さは、まだ回りの空気を支配しているかのように、
立ち込めてはいるが、天空の少し光り始めた星空の下では、
それも余り気にならない。遠く比良の山が黒く立ち並んでいる。
東の空が、少しピンク色になり、やや赤みを帯びた橙色、そして、
赤く、透明の空になって行く。ライは、そわそわしていた。
主人とママは、まだ、2階でぐっすりと寝ているようで、物音一つ
しない。何度か寝室の前で、ニヤオー「早く起きてよ!」
というのだが、全く無視された。
朝日が、一斉に降り注ぐ頃、まず、主人が眠気を半分背に負った
様に2階から降りてきた。
ともかく、我が家から出て、3丁目の三毛さんの家に行かねば、
焦るライである。
主人に何時もより激しいスリスリ行動とやや語気を荒くニヤオー
(早く、この雨戸を開けて俺を出せよ、オッサン)の連続攻撃である。
我が家を飛び出すライ、愛の力は種族に関係なく強いのか、ただひたすら、
3丁目の三毛さんに脱兎の如く駆け抜ける。
既に、馴染んだ風景だが、やや古びたレンガ塀、外にせり出した
生垣、黒い塗料の剥げ落ちた鉄柵など、ライの横を走馬灯の如く
流れて行く。
まだ白い花の残る花見月と黄色に色づいたゴールデンクレストのある家、
三毛さんの家である。いつもは、その前の庭にノンビリと寝ているはずの
三毛さんは、今日はいない。
ライは、そーと庭に入って行く。その心の高ぶりを抑えて。
「あの人は何処に行ったの?」
「今日は私の秘密の場所に、2人で行きましょう」
と言われた時のあの「胸キュン」が思い出される。でも、、、、、
庭の既に、花の落ちた紫陽花の茂みの中で、ライは待った。
「秘密の場所?何処なのかな、やっぱり俺が好きだから、そこへ
行こうって事かな」
その妄想は、とめどなくライの心に広がって行く。
朝の柔らかな陽は既に、その強さを増し、木々の影もその長さを
少しづつ短くしていく。夏の陽は、ライの身体を差し抜いていく。
しかし、ライの見つめる先の芝生の先には、誰もいない。
静かな機械の音が一つ、申し訳なさそうに、鳴いている。
ライは、良く主人が聞いている「恋唄綴り、堀内孝雄 」
を思い出していた。
「涙まじりの 恋唄は 胸の痛さか 想い出か
それとも幼い あの頃の 母に抱かれた 子守唄
ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 飲めば 飲むほど 淋しいくせに
あんた どこにいるの あんた 逢いたいよ
窓にしぐれの この雨は あすも降るのか 晴れるのか
それとも 涙がかれるまで 枕ぬらして かぞえ唄
ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 泣けば 泣くほど 悲しいくせに
あんた 抱かれたいよ あんた 逢いたいよ
ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 飲めば 飲むほど 淋しいくせに
あんた どこにいるの あんた 逢いたいよ」
中天の陽は、既に西に傾いていたが、ライは、彫像の如く、茂みの
中にいた。恋は、新しい力を付けるのであろうか。諦めの良さが
ライの信条であるが、今回は大分様子が違うようだ。
でも、三毛さんのあの優美な、と本人は思っているが、姿は、
かき消された様に、現れなかった。
我が家へ向かうライ。
夕陽に向かい長い尻尾を引きずりながら、悄然と歩いて行く。
その後を長い夕陽が追いかけていくようだ。
今日も、その一日を終わらそうとしている。
平和とは何だろう。
猫族にとっては、毎日3回、ドライフードとチョット美味しい猫缶詰
がタラフク食べられること。それでは、我が主人とママは、どうであろうか。
今日は、8月15日69年目の平和である。
主人とママがテレビの番組を見ている。
集団的自衛権、積極的な平和主義等、いくつかのキーワードが喧伝されている。
既に、第二次世界大戦が終わり、日本が負けて69年である。私も67年目である。
平和の中で、日本人の多くが猫族も含め、過ごして来た日々である。
でも、主人曰く、自衛隊幹部生の日常記録である番組を見ながら、
「あいつら、どこか緊張感がないね。他の仕事と同じ様な感覚ではないの?」
の一言。確かに、人を殺すと言う狂気の瞬間を味わっていないのだから、
彼らの今の頑張りは、災害救助などで発揮されるだけ。
いつも、一言あるママは、無言。しかし、
「でもね、自衛権の拡大が拡大しようが、限定的であろうが、日本人が自身
の生命を賭す事が必要となる事をきちんとすべきよ!
他国の人が日本人のために命を失う事で日本の平和が保たれるのは、おかしいわ。」
これには、チャト含め、猫族一同は、そうだと、頷く。
チャト曰く、「私なんぞは、身体を張って、自分の縄張りを守っているのに!」
ごもっとも、そのたびに、主人に慰められているんですから。
そんな折、主人がある日、チョット感激した様子で、ママに言っていた。
「最近の中学生も、何も考えていない大人より、しっかりしているね。」
その作文の抜粋をみて見る。
ーーー
チョット長いが、ある3年の作品より、
表題は、訪れなかった出発からの再生。
「出発、この言葉で人はどのようなことを考えるだろうか。明日への出発、
輝ける未来への出発など、明るい言葉が浮かぶのではないだろうか。
しかし、私がこの夏に読んだ本では、全く違っていた。島尾敏雄の
「出発は遂に訪れず」の舞台である昭和20年の日本では、出発とは、
「死」であった。多くの若者が戦地へ赴き、また特攻隊としてその
「命」を散らせた。ーーーー
米国からは「カミカゼ」と恐れられ、国内では軍神とあがめ立てられた行為。
歴史の教科書に出てくるのは空で散った特攻などであり、陸や海上で
進められた特攻作戦はあまり知られていない。ーーー
著者である島尾敏雄が、28歳という若さで指揮官として配備された
第18震洋隊は、ベニヤで作られた簡素な小型艇に250キロ爆弾を搭載し
敵艦に直角に突入する部隊である。
彼の部隊は、終戦間際の8月13日に出撃命令を受け、軍服を身にまとい
自決用の手榴弾を持ち配置についた。だが、いっこうに発進の合図が出ず、
2日後の8月15日を迎えた。彼はどのような思いで出撃命令を待ち、
聞き、終戦の知らせを聞いたのだろうか。
今は亡き私の大伯父は、陸軍士官学校を卒業し戦場へと赴いた。
「死」を覚悟して、戦地へ行き、終戦を迎えた。幸いにも、大伯父に
「死」が訪れることはなかった。しかし部下や友人には「死」が訪れたのだ。
大伯父の書斎には、戦争に関する書籍があふれていた。大伯父は「戦争
とは何だったのか。」について自問自答をしていた。
大伯父達は若くして戦争という大きな体験をし、生きること、死ぬこと
の重さに正面から向き合った。今の私たちには、死と隣り合わせの日常は、
想像することも難しい。ーーーーーー
時は「死」がとても近くにあり、しかれた道の上に「死」があったのだ。
皆、同じくその道の上を進むはずだった。しかし、終戦によって唐突に
その道は消えたのだ。自分が悩み苦しみながらも、国の為、家族の為に
受け入れた「死」から、人々は突然解き放たれたのだ。ーーーー
島尾敏雄は、終戦を迎え安心した自分がいる反面、それまで「死」に
向かって生きてきた自分との価値観の違いに苦しんだ。ーーーーーー
私は、幸いにも死を肌に感じたことはない。また、死と向き合ったこと
もない。しかし、65年前、当時の人々のすぐ近くには死があったのだ。
私は知らなければいけない、彼らの見た時代を、彼らが感じた死を。
当時の事を知っている人達は、年々減ってきている。私は聞かなければ
ならない、彼らの声を、思いを。
死を身近に感じることが少ない時代、そんな時代だからこそ、私は噛み
締めなければならない、大切にしなくてはならない。
彼らが得ることができなかった平凡な日常を、駆け抜ける事が
できなかった青春を。
何を平和と言えるのだろう。」
平和、そして、死、あまりにも平凡な言葉だが、これを享受できている
我が家と5人の猫たち。主人やママの友人も、戦後生まれであり、また、
このような話題をしたことがない。
更に、主人は、別の中学生の一文をママに言っている。
「戦後、急激に進化した日本は、進化と共に過去を見る力が弱くなって
いるような気がします。日本人全員がそうというわけではないけれど、
平和な日本で生まれ、平和な日本で生きる人達が増えるこれから、
「平和が当たり前。」「戦争なんか自分達には関係ない、勝手に
やってれば?」なんていう考えをもつ人も増えていくかもしれません。
確かに、未来を見ないと前へは進めないけれど、だからと言って、
過去があって今があり、今があるから未来がある、つまり過去が
なければ未来もない。人が未来を求めていくなら過去を捨てては
いけない。私達、特に子供は、日本の平和を望んで戦死した人達の
為にも、これからの日本を平和に、でもだらしない平和にならない
ように生き、未来を作るべきだと思います。」
しばらくは、お互い、無言、ライがその気配を感じて、何か俺、
悪いことをした?と言う顔でママを見ている。
しかし、これには、少し続きがあった。
主人は、結構肩こりが激しい。良く施術院に行くのだが、そこの
太田先生というのが、施術をしながら、時の話題を良く主人に
吹っかけてく。正に、吹っかけてくるのである。何も、先日、我が家で
あった話題を肩こりを治すために来ている処で話す気はさらさら、
なかったのに。
「先生ね。」
彼は、主人がコンサルタントの仕事をしているのを知っているので、
良くこう呼でいる。でも、この「先生ね」が恐い。彼の弁舌が始まる
予兆でもある。
「先生ね。良くテレビで、イスラム国の脅威と言うのが、言われている
けど。彼らはどうしたいんでしょうね。
イスラム国には、80カ国の国から1万5千人以上の若者、兵士として
来ているって言ってたけど、昔は、国のために命を捧げるとか、だった
けどそんなのお構いなしの戦争みたいね。
当事者も、関係する国のトップも含め、誰も制御する事ができない状態
っておかしくありません。やっぱー、インターネットで、人のつながり
や情報がより広く拡散して行くとこうなるのかな?
人の行動も大きく変わるし、それらの情報が各国民の貧富や思想の違い
が様々な不満を生み出して行くんでしょうかね。
これって、結構、日本も無関係ではなく、やがて同じ様に変わるはず
ですよね。」
太田先生、結構、的を得た話をしている。でも、主人、肩がほぐれて
きたのか、施術台で、やや熟睡中。
そんなのは、お構いなしに、太田先生の弁舌は、まだまだ、続いている。
でも、これが、平和と言うのかもしれない。
主人は、心地良い中で、ふと思う。
でもね!「多くの若い人は、自身の存在意義が見えないで、何と無く、
空疎感が漂っているようだね」と主人が、突然、一言。
そして、ちょうどその朝、仕入れたのだが、チョットモッタイブッテ
彼には、珍しくお話を始めた。
「7年前に、以下の様な一文を書いたフリーター赤木智弘がいるって。
彼のブログによると、「我々が低賃金労働者として社会に放り出されて
から、もう10年以上たった。
それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを
押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けば
このような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を
生み出してくれるかもしれない何か――。
その可能性のひとつが、戦争である。
識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、
現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、
そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、
社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる
可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間
として当然の欲求だろう。
そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念な
ことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差
は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ、、、、」。って?
これには、太田先生も吃驚。大人しく聞き入っている。
「へえ、そんなもんですかね!?」
今、太田先生の頭の中は、「戦争と平和が、振り子のように左右に
動いているのであろう。
ナナは、最近不満が溜まっている。
既にこの家で過ごして、16年となるが、最近は、他の猫族からは、
年寄り扱いされ、主人とママでさえ、ナナは本当に元気ね!!と
喜んでよいのか?あまり年寄り扱いするな!と怒るべきなのか、
迷うべきなのか。
「でもね、人間だって、凄く年寄りが多くなって来たって、主人が言って
いたし、隣の街を歩いても、なんか廃墟みたい静かよ。時たま会うのは、
犬の散歩に出て来た元気のない年寄りばかしだわ。私の方が元気なくらいよ」
とぶつぶつと独り言。
「私は、チャント家にも帰れるし、名前もチャント分かっているし、まだ、
1mほどのジャンプも出来るし、そこいらにいる人間の年寄りと同じく
してもらいたくないわ。むしろ、私のこの慎ましやかな生活態度を見習って
欲しいものよ。食べるのは、主人が出してくれるモノをキチンと食べ、朝と
夜は食後の運動に出かけ、ママと一緒に寝て、なんとこの規則正しい生活
のリズム、私って凄いと思うわ」と一人、悦にいっているナナである。
確かに、人間世界で起きている「老々介護、痴呆症、独居老人」などは、
無縁の世界かもしれない。
それに対して、ナナは、無性に腹が立つのである。
で、その結論は、「人間がもっとしっかりしないから猫族まで、同じ様に
見られるのよ」、ごもっとも。
確かに、地域で目標を持ち、キチンとした生活リズムを持った方は、90歳
であろうと、元気な方も多いし、そのような地域も少なくないと聞く。
16年前に、主人と特にここの長男が琵琶湖にある家に引っ越すとの強い
思いがあり、まだ生まれたてて目の見えない、排泄も、容易に出来ない
ナナを連れて移ってきた。
「その時分は、周りには、結構、面倒見のよい猫と先輩のトト姉貴がいて、
街のハズレから大通りのある南のハズレまで良く出かけたものである。
もっとも、生まれたばかりの私ですし、排泄するために毎回、家族総出
で、特に、世話好きの長男と私の拾い主である3番目の息子が私の
お尻を刺激して、排泄の手伝いをしてくれたり(猫族は、生まれたてでは、
そうしないとウンチが出ないのよ。人間がトイレで気持ちよくウンチを
出すのにトイレウォシャーを使うのと同じね)、ミルクをくれたりして、
気楽には、過ごせたものよ。ただね、少し過ぎた時に、トト姉貴に
誘われて出かけたものの、途中で放りだされた時には、さすがにもうダメだ
と思ったものよ。1ヶ月ほどわけも分からずウロウロして、野良猫生活
になろうと言う寸前にこの家を見つけたのよ。家中で、写真入のビラを配ったり、
知っている人に聞きまわったり、色々と探しまわった様で、あの感激ぶり
はすごかったわね。
しかし、私も年を取ったものだ。周りの猫族も知った顔は、既に街の
一番東にいる茶黒の縞のあるクロオビさんだけになってしまった。
なぜクロオビ、というとちょうどお腹の辺りに黒い縞があり、まるで
クロオビをしている様に見えるから。更に、喧嘩の強いのも、
一つありかも。私も来た時に、その強さに惚れたものだけど、トト
姉さんが「あいつは私のものよ!ナナは、手出し無用よ!」の一言
で、初恋は消えたの。
でも、6年ほど前にトト姉さんが、不慮の事故でなくなってから
少し付き合ったけど、あの亭主関白な態度が気に入らずに別れたの。
結局、私たちは、赤い糸で結ばれていなかったのね。」
まあ、この辺は、人間世界と同じかもしれない。それ以来かどうか
不明であるが、ナナは短気となった。主人もママも手や足にその爪あとが
幾つもある。身体を洗う時など、2人とも、かなりの覚悟でやらないと
ナナの爪の犠牲となるからだ。ちょっとした事に怒り出すし、少し
機嫌が悪いと、他の4人に直ぐに喧嘩を仕掛けるのだ。とても70歳以上の
老婆とは思えない。猫にも、更年期障害とやらがあるのかもしれない。
その3
朝ごとに、太陽が地平線上に顔を見せてやがて天頂に達し、
夕方には沈んで、一日が別の一日へと道を譲った。
その変化を見ながら、チャトは、自分の身体が弱っていくのを感じていた。
そして、この十数年を過ごしてきたソファーに身を委ねながら、
空とその下で刻々と変化する大地を見つめて長い時間を
過ごした。比良の頂が昇りゆく太陽の光りを背に金色に照り映え、
その輝き映す家々の窓が、一つまた一つと強烈なオレンジ色に
染まって燃え立つように見えた。日暮れ時、木々の影が長くなり、
地面にもう一つの林が闇で出来た林とともに、出現しかかったようだ。
早朝の霧をついて車が通り過ぎ、乳白色の靄の中から散歩に行く人であろうか
静かにチャトのいる窓辺の横を過ぎて行く。
遠くの丘の形が柔らかく平らになって、視界が開けているが、その先は見渡す限り
穏やかな緑色が続いていた。道路の向こうには、石積みに囲まれた畑が朝陽に映えて
柔らかい光をこちらに向けている。
その光の中に、後数日の命である事をあらためて感じていた。主人の大きな声と身体が
己が身体を包み、ママの優しい声が心地よいリズムを与えている、そんな感触の中、
病院で拾われ、負けた時に慰められ、他の4人との楽しく過ごしてきた日々のことが
目の前に浮かんできた。仙人猫の「猫は輪廻転生、身体は死んでも次の新しい世界に
生きていくのだ」、と言われた事を思い返す。出来ればまたこの家の住民として再生
出来たらと思っても見る。
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