2016年1月12日火曜日

序章その2


また、比叡山の末寺として、比良三千寺と呼ばれるが如く、

多くの寺が点在していた。昔は、小さな村と小さな田畑とお寺

の里であったのであろう。その名残は、今もなお、あちこちに

その面影を残している。むしろ、残していると言うよりも、

我が街を少し出れば、まさに、そこに現出している。近くには、

小野妹子を祀った神社や名前負けしそうな天皇神社、などなど

これも、また、寺なぞに負けるか、の如くその存在を誇示している。

我が家は、どう言うわけか、この街並みのほぼ中央にある。

薄茶色の壁に吹き抜けの様な小さな煙突のごくごく一般的な

家を小さな庭がその周辺を囲んでいる。門を数歩歩けば、玄関に

当たり、右に行けば、無秩序に植えられた桜桃の木、もっとも、

これは、主人とママが桜の木のつもりで植えたのだが、があり、

その先には、これも、また、無秩序に植えられた梅の木、蜜柑の

木が、其々の言い分を、言いたげに、並んでいる。

朽ちた樹椅子、張り出したベランダ、ドンと据えられたやや頑丈

そうな倉庫と、これが全てである。

 

既に我が家も16年経った。少し屋根や壁にも、その衰えが見える。

黒いスレートの瓦に、やや灰色がかった壁とドーンと突き出した

2階のベランダ、ママは、このベランダが気に入っている。

主人は、寝室兼書斎の広さと日たりの良さ、そして、既にいないが

息子3人分の部屋の大きいとは言えない、適当な広さを

各々、気に入っている。ただし、我が家からは、琵琶湖が

直接見えないのが、チョット不満。

チョット特長なのが、屋根の上に突き出ている煙突風の風抜き

である。どういう訳か、これが2階の上で、結構目立つ。

息子3人を育てて来たママは、いまでは、京女の優しさは残存

しているものの、その逞しさは、結婚した30数年前とは、

雲泥の差。主人と息子三人をなだめ、すかし、日夜奮闘して来た。

我が猫族も、さすが生きる術を心得ているのか、ママには、

逆らわない。主人は、団塊の世代の代表のようなもので、10数年前

は、徹底的な仕事人間。いまここにいるのは、誰なの、と聞き返す

友人もいる。また、瞬間湯沸かし器と家族には、呼ばれていた様であるが、

猫族は、それは、知る由も無い事。食事を出してくれる好々爺の

自動販売機ぐらいに考えているのだ。

 

それでは、猫族は、いかがな状況であろう。

まずは、吾輩は猫である、から猫族の心境を、

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元来人間が何ぞ言うと猫猫と、事も無げに軽蔑の口調を持って吾輩を

評価する癖があるは甚だよくない。、、、、よそ目には、一列一体、

平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、

猫の社会に入って見ると中々複雑なもので、十人十色という人間界

の言葉はそのままここにも応用ができるのである。目付きでも、

鼻付きでも、毛並みでも、足並みでも、みんな違う。髭の張り具合から

耳立ちの按配、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものはひとつもない。

器量、不器量、好き嫌い、粋無粋の数をつくして千差万別と言っても

差し支えない位である。そのように判然たる区別が存在しているにも、

関わらず、人間の眼は、只向上とかなんとか言って、空ばかり見ている

ものだから、我等の性質は無論相貌の末を識別する事すら到底出来ぬ

のは、気の毒だ。、、、、、、、

人間の心理ほど解し難いものはない。この主人のいまの心は怒っているのだか、

浮かれているのだか、又哲人の遺書に一道の慰安を求めつつあるのか、

ちっとも、わからない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交じりたいのだが、

下らぬことに癇癪を起こしているのか、門外に超然としているのだかさっぱり

見当が付かぬ。猫などそこへ行くと単純なものだ。食いたければ、食い。

寝たければ、寝る。怒るときは、一生懸命に怒り、泣くときは絶対絶命

に泣く。

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そして、怖い話であるが、猫達がどのように人間を思っているのか、

ポール・ギャリコの「猫語の教科書」から少し考えて見る。

 

人間ってどう言う生き物?では、

私の家のご主人が、奥さんにどなったり、机をバンとたたいたり、

または、ガミガミと言ったからといって、奥さんとの仲が悪い

わけではありません。こういうことは、男性にとってただの習慣の

ようなもの。男たちは、怒鳴ったり、文句をいったり、いばったり、

命令したりするけれど、女性たちは放っておきます。、、、、、

女性は多くの点で私たち猫に似ています。、、、、

 

猫が「人間の家を乗っ取る方法」では、

私たち猫が人間の家に入り込む時に、使うのに、これほどぴったりの

言葉(乗っ取る)がほかにあるかしら。だって、たった一晩で、

何かもが変っわちゃうんですもの。その家もそれまでの習慣も、

もはや人間の自由ではなくなり、以後人間は、猫のために生きるのです。

ーーー

それでは、我が猫族何人かの半生から、少しその世界で、過ごしてみる。

 

ハナコは、突然、生を受けた。自身は、目が見えないので、

何処かは、分からなかったが、温かい母の体温から突然、

生ぬるい風を感じる外に出て来た事は、分かった。

心地よい草むらの中で、そばには、母の息遣いが聞こえていた。

数週間ほどして、その頃は、ハナコも、小さいながら、生きると言う

意味が理解出来るようになった。そして野良猫と言う境遇の厳しさ

も、同時に、感じるようになていた。しかし、ハナコは、運が良かったの

かもしれない。周りは、5月の暖かさと多くの生き物の息遣いが聞こえる

落ちついた雰囲気に包まれていた。食べ物も、母が、何処からか、

見つけて来たし、ハナコは、昼間は、草むらの中やちょっと離れた所に

ある草花の香る中で、こ戯れていればよかった。さらに、数週間経ち、

母と同じくらいの大きさになった時、大きく環境は、変わった。

母は、ハナコの元を去った。突然ある日。未だ、母が去ったのは、

母の意志なのか、突然の何かがあったのか、は分からない。

あの母の温もりと優しさから考えれば、母の身に何かが、

起こったのであろう。

翌日から、ハナコは、空腹と一人ぼっちになったと言う寂しさ

と闘う事になる。いよいよ、野良猫ハナコとしての登場となる。

本人にとって、登場したくはないのだが、そうせざる得ない、

これが、野良猫としての宿命でもある。しかし、多くの野良猫

は、ハナコぐらいになるまでに、その命を全うせざるを得ないが、

ハナコは、生きる運命にあったのかもしれない。

それは、突然の出会いであった。いつもの様に、食べ物の匂いに

誘われて、街中をウロウロしていると、目の前に、突然の影。

ハナコとしても、他の野良猫には、会わないように、気を使って

来たが、ここ数日満足な食事も出来ず、集中力がきれていた様だ。

相手は、ハナコの二倍はありそうな黒縞の雄猫である。体には、

いくつかの傷跡がある。まさに、この辺のボスの風体である。

ノロとの出会いである。

「お前、この辺では、見かけない奴だな?」

「すみません。下の里にいるんですけど、チョット迷ってしまって。」

2人は、暫く対峙したまま、動かない。

と言うより、ハナコは、恐怖が全身を包み、動けない。

「お前、腹が減ってるのか?」

「まあ、いいや、チョット付いて来な!」

ノロは、踵を返すと、ドンドン行き始めた。ハナコは、訳も分からず、

付いていく。

そして、ハナコは、久しぶりの食事にありつく。

猫も人間も同じ、縁とは不思議なのものである。ノロは、ハナコを

気に入ったのである。ハナコがメスであったからかもしれない。

 

猫は、独立心が強いと言うのが、人間世界では、常識のように、

言われているが、実は、それほどではない。猫族の中にも、甘えん坊

もいるし、お高くとまっている猫も居る。以前いたトトが、そうであった。

綺麗な三毛猫で、頭も良く、ご近所の家まで、上がりこむことが

あったが、その大胆さが、災いとなり、早くに事故死した。

猫たちも、特に、野良猫は、お互いの助けが必要であり、結構相互扶助

で行動している。

ノロとハナコは、その後、夫婦の如くともに、行動した。

ハナコにとって、ノロの傍に居れば、安全だし、食事にもあり付けた。

母と別れて初めての安心な日々を過ごしていたのである。

やがて、我が家との出会いとなるのだが。

それは、偶然の出来事であった。しかし、最近主人は思う。猫たちが我が家に

来るのは、果たして偶然なのだろうか、と。ノロが現れる前にも、太郎や

今は息子のところで過ごしているライト、リリー、最近ではジュニアと色とりどりの猫たちが我が家の庭に現れてきた。或るものは不幸な死を迎え、ある者は幸せをつかみ、また突然来なくなるという猫生の喜怒哀楽を見せてきた。

ママはこの頃からすでに予見していた。猫たちの集まり、そのつながりがあることを、そして主人もその現場に立ち会うことになる。まだ、それは少し先ではあるが。

 

我が家の長男猫のチャトが、何時もの如く、この界隈のボスとなろうと

周辺をウロウロしていた。チャトとノロの鉢合わせ、あっけなく

勝負はつき、チャトは、一目散に我が家へ逃げ込む。

その後を追って、ノロとハナコが我が家の庭に侵入してきた。

そのとき、たまたま顔を出したのが、主人であった。

 

ノロとハナコは、固まった。

人間とこんなまじかで、対面するのは、永らく生きてきたノロでさえ、

初めてであったのだから。

しかし、それ以上に、吃驚したのが、主人の次の行動であった。

ニヤーと笑って、ガラス戸の向こうに消えたと思ったら、何やら

奥でゴソゴソとやっている。

ノロは、少し後退りをして、様子を見ることにした。人間は、怖い

モノという意識があるのだから、チョットでも、危険を感じたら

逃げられる体勢をとる。ハナコも、それに合わした。

実は、ハナコは、このような不思議な状況になったことが無い。

ノロの行動にあわしては、いるものの、興味半分、恐さ半分

の状態であった。

主人が手に何かを持って奥から出てきた。

なんと、手には、猫用の缶詰と水がある。

それを、そーと縁側に置くと、すーと姿を消した。

まあ、食べたければ、食べなさい、と言った風情である。

 

ノロとハナコにとって、凄く長い時間を感じた。

数歩先には、上等な食事が2人を手招きしている。

早く食べに来いよ!!と言っている様だ。

「ノロさん、どうしよう?おなか減ったし、食べましょうよ!」

「チョット、待て。どうも話が上手すぎる。俺たちを捕まえる

罠かもしれない」

「でも、優しそうな人だったみたいよ?」

「人間なんて、うわべだけで判断しちゃダメだぜ。俺の経験では、

ニコニコしている人間ほど、危険な人間はいない。昔、俺の仲間も

その手で、何にも捕まって何処かに連れて行かれたのさ。」

「へえ、怖いですね」

そこへ、かの主人が、顔を出した。

「お前たち、食べないのか?別に毒なんか入ってないよ」

と言って、こちらに、手招きしている。

勿論、猫語と人間語では、十分に分かっているとは、言えないが、

何もしないから、早く食べろ!と言っているのは、2人も

理解できた。

「しゃあない、まず、俺が行くから、様子を見て、お前も来い」

ノロは。歩伏前進の姿勢で、缶詰のところへ向かう。

そして、猛烈に食べ始めたのである。

ハナコも、慌てて後に続いた。

ああ、何日かぶりの満足な食事であろうか。この匂いと喉越し

に消えていく香ばしい魚の感触。

満腹感が2人を支配していた。

 

アノ劇的な日から数日が過ぎた。

しかし、暫くは、ノロはアノ家に近付かなかった。

ノロの長年の野良猫としての経験から、人間への恐怖感と猜疑心

がそうさせたのかも知れない。

ハナコは、少し違った。

アノ食事の魅力が、ノロと居ても思い出される。恐さよりも、食事への

魅力が、絶えず、ハナコの頭の中で、唸りを上げている。

ある日、ハナコは、一人で、あの魅力に満ちた家の庭に忍び込んだ。

そして、その日も、たまたま顔を出した主人とその主人のママがいた。

「ママ、チョット来てみて、例の猫が来てるぜ!」の声に合わして出てきた

ママと呼ばれる人に初対面もした。

暫くして、ノンビリと庭先に居るハナコを見る様になった。

無事、家猫になった。

いま主人の足元には、べったりと床に腹ばいのハナコがいる。

4つの足をのばしきってその茶と黒、白の斑模様をまるで虎の敷き皮のごとく

見せている。

ただ、ノロは、「俺は、自由が好きなんだ」との言葉を吐いて、姿を消した。

我が家には、既に16歳のナナ、次は、チャト、そして、兄妹のライと

レト、新人ハナコ、そして、食事だけに来るノロの5人+一人である。

 

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