2016年1月21日木曜日

二十四節気三、春温む啓蟄の季節


まだ暗い。東の方から少しづつ、まるでモノクロ写真のような

暗さからやがて白い光となってくる。

庭の梅の木から、紫陽花へ、そして名前の忘れた柑橘の木、最後には、

毎年赤い大きな花を咲かせるデゴニアへと、光が流れて行く。

その横には、小さな紫の身をつけた紫式部の木がひっそりと立っている。

しかし、梅の木の蕾以外、まだその色を見せているモノはいない。

ピンクの小さな豆のような蕾が褐色の枝に満遍なく張り付き、青み始めた

空に突き刺すようにその枝枝が伸びている。ピンクの蕾も冬の寒さから

開放されたのか少し緩いまとわりとなりその開花を待っている様でもある。

春が次第ににじり寄って来る気配を猫たちも感じているようだ。

チャトが少し顔を上げ、その空気のやわらかさを感じ取ろうとしているようだ。

少し前まで見せていた中空の月の姿は、今はなく、ただ青い空が

全天を照らしている。しかし、その蒼さも、家々の屋根近くでは

白く輝き、少しづつ蒼さを増しながら、天空へとその蒼さを濃くして行くようだ。

朝のしじまが少しづつ、昼の明るさと喧騒さに紛れ、一枚一枚写真を剥がすが

如き動きで、やがて朝の顔になって行く。

まだ白いものが残る比良山の山並が少しづつ後ろに流れて行く。目の前に広がる

蒼き湖がそれに合わすかのようにこれも少しづつ大きくなっていく。春の霞に

薄いベールを通して見るような沖島や八幡山の対岸の風景もどことなく

暖かさをもって見える。右手のやや深い森からは鳥たちの朝のさざめきがとき

に激しく、時に密かに主人の耳の届く。この坂も何十年と歩いた道ではあるが、

四季の色合いを感ずるのは、春である。特に、身体の衰えを感じ始めた4,5年前

から主人は、今まで好きだった秋よりも春に喜びを感じている。

薄暗い空が多くを占め、山と湖をその力で押さえつけるような冬の死に近い風情は、

死が近くなったものにとっては、何の慰めにならないし、寒さの中で縮こまる

自分の姿に情けなささえを覚える日々でもある。そのような季節から雨水、啓蟄

といった二十四節気のいう生命の息ぶきを感じる春は、今の自分にとって、

大きな慰めであり、勇気付けでもあった。足下に眼を落とせば、芝桜の可愛い

ピンクがあり、庭にはピンク、黄色、白など様々な色の花たちが一斉に咲き

始めている。名もなき雑草と言われる草たちも冬のややくすんだ緑や茶褐色

から光る緑へとその姿を変えつつある。歩き過ぎる家々の風情も、同じ姿で

あるはずだが、その醸し出す空気は緩やかな暖かさで和邇を包み込む。

既に、青味の増した芝生の上にルナはいた。主人を見ると、出迎えへの喜びを

身体全体で表している。尻尾を絶え間なくふり、前足をこちらに向け、いつもの

片足を上げる仕草で握手を求めて来た。眼を見れば、オッサン早く散歩に

連れてってな、早ようしてな、と言っている。ここで飼われてからまだ1ヶ月ほど

だが、すでに10年もいるような態度で、この孫娘はしっかりと主人を見つめていた。

リードを持てば、脱兎の如く坂を駆け上がろうとする。長いペットショップの

狭い空間で過ごして来た憂さをこれ以上ないような仕草で晴らそうとしているようだ。

しかし、想いとは別に、まだ体力不足なのであろう。主人を引き回すほどの

力はない。結局、この足の遅い老人の歩調に合わせて、やがてゆったりとした

歩みとなる。それでも、家の前に行く頃は、2人ともが、息切れが大きい。

何しろ、片方は4ヶ月近い闘病生活であったし、片方も3年近い狭い檻の中の

生活であったのだから。そんな二人に既に咲き始めた梅の花がその優しい

ピンクの色合いを染め付けている。遠くで、ウグイスの元気な声が聞こえる。

軽トラックのエンジン音が聞こえ我が家の横で停まった。

隣りの黒木さんは定年退職をしてから農作業を本格的に始めた。今では、どこから

見ても農家のオッサンの風情である。楽しそうにしているのが羨ましいほどだ。

朝は5時ぐらいから近くの畑に出かけている。朝寝の我が家では中々に難しい。

しかし、朝の早い猫たちは既に活動開始、ライとハナコはすでにお出掛けしているが、

主人に似たのかチャトはソファーの上でノンビリと朝のおねむの時間のようだ。

 

先日もママが慣れない家庭菜園をしているとニコニコ笑いながら立ち話。

「ようやく春らしくなったね、厳しかった冬も終わり、うちの家庭農園にも、

鶯の可愛らしい鳴き声も聞こえ、土の中に指を入れると柔らかな暖かみがあるね」

「畑の方はどうですか」

「先日、種蒔き箇所の天地返しから苦土石灰・有機堆肥を敷き込み、新たなる畝作り

をしてね、ちょっと頑張った。さあ、今年の春野菜の第一作は何を作付けしょうかと

思ってますよ」。

「元肥(有機堆肥)を入れて、男爵種芋の切り口には焼灰を塗り込めて植えつけると

6月頃には立派な男爵芋が取れるしね。」

黒木さん、農園の話となると、止まらない。ベランダに出ていたチャト、レトが所在

なさげに座っている。ライは盛んに両足で顔を拭いている。朝の化粧直しでもしている

かの様だ。ハナコは既に朝のお勤めか、すでにそこにはいない。

「ブロッコリー・カリフラワーを少しやってみようと思ってるけど、少し時期が早いか

もね。レタス類は、日毎に暖かくなれば結構早く成長するね。コマツナ・京ミズナも

手っ取り早く収穫できるから、夏野菜までの繋ぎで植えるしね。

まあ一応、春の第一作種植えを済ませたけど、どうなる事やら。

菜園の野菜は、手を掛ければすくすくと育ち、手を抜けば忽ち立ち枯れし、本当に正直

ですよ。これからずっと、散水・雑草抜き・虫退治と多忙になるな」。

黒木さん、喋るだけ喋るとそそくさと自宅に戻っていった。

後に残されたママはただその姿を見送るだけ、チャトが「ママも何かしゃべったら」と

言いたげにあの三角眼を投げかけていた。

ママも今年は小さいながらも菜園をしたいと思っている。家の周りを様々な花を植えて

季節ごとに玄関や裏のベランダ、更には横の植え込みに色をつけているが、それでも

満足できなくなった様で昨年からはトマト、茄子などをごく小さいその野菜畑に植えて

いる。

しかし、途中の水遣りができなくなった事から全滅であった。そのリベンジの

つもりから今年は野菜畑の土お越しを少し早めにしようと思っていた。

「今年こそ頑張って、少しでも野菜を育てるわ。今日は土お越しぐらいはしておこう」

「黒木さんから小松菜と水菜を分けてもらったし、まずはこれをやってみようと」

すでにその触る土も温かさを持ち始めている。掘る土からは春の匂いと少し湿った黒い

土の粒が手の中でうごめいている様だ。小さなミミズが身体をしきりにくびらせながら

ママの手の中で動いている。

まるで冬の寒さから解き放たれて嬉しそうな仕草でもある。

チャトとレトが既に伸び始めている雑草を美味しそうに食べている。

顔をその葉に直角に寄せて歯で引き寄せかぶりついている。

ママが引き抜いた草の根にはまだ冬眠でもしているのであろうか、玉虫の幼生が一緒に

ついてきた。まだ色付きのない庭にも、紫に白い縞の入った小さな花をつけた

クロッカスが5つほど密やかに咲いている。その色の艶やかさとは別に隠れるような

仕草で庭の片隅にいる。ママがそっとその花たちに息を吹きかけていた。

ベランダで寝ていたライが3人の様子を窺いにのっそりと庭に出てきた。

まあ、この人の興味は食べる事と恋すること、家を抜け出す事であり、3人の横を

通り過ぎ、ママにスリスリする仕草を見せながら玄関の方にノンビリと歩いていく。

 

そんなこととは露知らず、知っていても同じかもしれないが、ハナコはぶらりと

街の中を回り、街の入り口に点在する畑に向かっていた。暖かい空気に誘われ、

あまり行く事のない街の下の畑の様子を見に行こうとしていた。

途中、1丁目の黒白さんと出会った。

「あんたどこへいくん?」

「今日は珍しく暖かいし、下の畑にでも行けへんかな、と思ってるんよ」

「まだ猿がいるって3丁目のキジ虎が言ってたから気いつけよ」。

「猿って、うちのライおじさんが出くわした動物の事なん。でもまあ大丈夫と思うわ」

と呑気な挨拶を交わしながらも、ハナコはドンドンと去っていく。

少し坂を上がると琵琶湖が曇り空の下、幾つかの波状的な縞模様を

見せながら、やや黒ずんだ水面を見せている。後ろに控える比良の山並も

久しぶりの蒼い空をバックにその稜線をくっきりと浮き出させている。

そこからやや下り坂の大きな銀杏並木の間をゆっくりと歩を進めると、

道には緑の小さな手のような葉がその色を増しつつあるのが分かる。冬から春へと

言う時の流れが、彼方此方で、木々の姿を変えつつある。家々の間にあるうち

忘れたような空き地には、以前からその寂しさを見せつつ、一本の楓がある。

その楓も、緑の衣装を着こなすようになり、冬の寒さからやがて来る季節への

移ろいを身につけ始めていた。時たま見せていた春の断片が1つの形を成すように

春がどこともなく地上に揺れ立ちつつある。

やがて、杉の林の先に5段ほどに仕切られた畑が見えてきた。掘り起こされた土

が黒く幾重も重なり合って春の訪れを待っているようでもある。この小さな

谷間の土地にも間違いなく春が忍び寄っているようだ。畑の先にある川からは

ゆらりと光る川面の流れと対岸の竹やぶから聞こえるウグイスのさえずり、そして

川に沿った黄色の菜の花の帯がまだ枯れ色の多い中にもその色の濃さを増して

いる。黄色の帯びは更に上流へと伸びて、春が来る道筋を作っているようでもあり、

その途中には白い花をつけた梅ノ木が一つ黒い土をバックにして一層の白さを

見せている。川のそばの畦道に軽トラックがゆっくりと入ってきた。ここの畑の人

であろうか、春の陽射しを浴びながら、草取りを始めている。

川の下流にある公園からは、子供たちの飛び回る姿とはしゃぐ声が聞こえてくる。

ふと見れば、ハナコの足元の土が動いている。小さな虫が這い出してきた。その

暖かさに浮かれるが如く掘り起こされた土の上を精一杯の力で歩いていく。

薇(ぜんまい)、芹(せり)、土筆(つくし)、蓬(よもぎ)らの小さな草たちが

それを守っているようでもある。啓蟄(けいちつ )の季節である。土の中の虫たち

がうごめき始め、地上に顔を出し始める。冬の寒さは遠のき、野にも黄色い

菜の花が咲く。

そして春のお彼岸、生の息吹を感じながら先祖の霊に想いを馳せる。

ハナコもただじっとその行動を見ているのみ、むしろ驚いているようでもある。

「こいつは何者んよ、動いているけど食べ物には見えへんし、気色悪いわ」

ハナコのその鋭い嗅覚で探っても、それからは土の匂いしかしない。

ハナコにとってもあまり経験のないことであった。

そうしている間にも、虫は土に帰って行った。外の寒さよりも土の温かさに自分の

いるべき場所を知ったのかもしれない。

 

朝から昼になるに連れて春の光はその強さを増していた。

それに合わすかのようにチャトも朝のまどろみから醒め、その白い胸元と茶色の

背中を揺らすように歩いていた。久しぶりに湖岸の様子を見たくなり、ゆっくり

とした足取りで青白く幾筋かの波を見せる湖に向かってその歩みを進めている。

急な坂からは、琵琶湖の群青の光と銀色に輝いて走る電車が見えている。

家々からは少しづつながら春の匂いと色が漂ってくる。白い花が咲く誇る梅ノ木、

緑が濃くなりつつあるムクロジ、赤い中に黄色のオシベを見せる寒椿、様々な

色が様々な形でチャトの横を後ろへと流れて行く。坂を下り切った一角に小さな

田圃がひっそりと残っている。忘れられた様でもあるが、すでに土が起こされ

冬の間に耐えた力をその黒い色一杯に反映させているようでもある。

雀が十数羽、その上を激しく飛び回っている。土から這い出してくる虫たちを

狙っているのであろうか、その真剣な仕草からは春が来た以上の想いが伝わってくる。

その小さな畑を過ぎるとそこには湖が来ていた。

長く白い砂地が左から右へと大きな湾曲を描きながら延びている。

湾曲に沿ってまばらではあるが松林も続いていた。沖にはえり漁の仕掛け棒が

水面から何十本となく突き出し、自然の中のくびきでもしているようだ。

チャトのいる砂浜に向かってゆっくりとした波長をもってさざなみが寄せていた。

春は浪さえも緩やかにさせるのであろうか、冬に見たときのそれとは大きく違う。

チャトの10メートルほど先には、数10羽の鳥たちが青白い空とややくすんだ

色合いの青を持つ湖面の間に浮かんでいる。あるものはえり漁の仕掛け棒の上で

羽を休め、何羽かの鳥たちは遊び興じているようでもある。2羽のコガモが

連れ立って水面をゆっくりと進んでいる。やがて彼らもここを離れ、次の住まいへと

向かうのであろう。春は出発と別れのときでもある。

遠く沖島と少し黒く霞んだ山並を背景にして数艘の釣り船が浪に揺られ、釣り人が

その上で釣り糸を垂れている。そのモノトーンのような光景を見ながら、チャトは

この辺を住処としている野良猫のゴローの事を考えていた。

砂浜の切れるところに港がある。古来よりこの地域は魚を取る事を生業とした

部族が住んでいた。このため、ここから北へ向けても幾つかの漁港がある。

ゴローたちは漁港の魚を狙いながら住み着いていた。

4年ほど前に主人とともにこの港に来た時初めてゴローと出会った。それ以来

毎年数回は、ここを訪れる。ゴローもチャトと同じ様な黄色と白の毛並みを

した雄である。身体はチャトよりの少し小柄だが、喧嘩はめっぽう強い。

チャトがここでノンビリ過ごせるのは、ゴローのお陰かもしれない。

チャトもこの虫が這い出すようなこの季節に来る事が多い。寒いのが苦手なチャト

にとって、温かみが増すこの頃がちょうどタイミングが良いのであろう。

横で黒いものが動いた。

「お前何やってんねん、久しぶりやな」。ゴローであった。

冬の間、どう過ごしたのか分からないが、相変わらず精悍な顔をしている。

「少しぬるくなったんで、ここまで散歩ですわ」。

「相変わらず、ぶくぶく太りおって早死するわ、ここで野良生活を暫くすれば

ちっとはスマートになるやけどな」。

「人間どもの世話になるのは猫族として恥かしいと思わなんか」。

前回、会ったときもそうであるが、ゴローは独立心が強くチャトが人間と同居

している事に不満を持っている。

温かい風が2人を包むように流れて行く。比良の山にはまだ少し白いものが見えるが、

冬の間、黒々としていた山肌にも、少し緑色が交じり始めている。やがてそれが

黄緑となり、青さのある緑となって光り輝く緑色を見せるのだ。

2人のいる草むらの影も少しづつ東に伸び、春とはいえ夕暮れになると

まだ未練がましい冬の気配が、その姿を見せてくる。

坂の上は燃え上がっていた。やや赤みを帯びた橙色が、坂の上を支配しているように見

える。

同じ様に、空もたなびく雲に、その色を投じている。

 

私は、ゆっくりと坂の勾配に逆らいながら、自身の重さを恨みながら進む。

そして、思う。歩くのでも、そのスピードによって、見るべき風景と見られるべき

風景が違うことを。まだ若く体重ももう少し少なかった以前であれば、見られて

いないであろう家々の小さな変化が今は、はっきりと眼に飛び込んでくる。

庭に咲いていたであろうコスモスの枯れ具合の違い、既に空き家となった家の

少しひび割れた壁の変化、少し移動した庭の椅子、など。

枝振りの良い花見月の小さな芽が心地良い感触を伝えてくる。

坂の上に登りきると、西の山並には、まだ、先ほどの橙色の残照が残っている。

後ろを振り返れば、琵琶湖の水面が、青黒く輝き、遠く伊吹の山並までが見える。

カラスが一羽、電柱の上からこちらに向かい、かあー、かあーと呼びかけてくる。

夕食の美味しそうな匂いが辺り一面を支配している。

少し早い子供たちとの団欒、ここにも、1つの生活がある。

周りを見渡せば、既に、家々の明かりが灯り、道路にその光を投影している。

考えてみれば、今日はゴローさんとの話が長く、昼飯を食べていない。

腹が減った、あらためて空腹感が押し寄せてきた。

主人とママの顔が浮かんできた。

 

ふと、後ろを振り返れば黒く長い影がチャトの身体から伸び道路の端で消えている。

その寂しげな姿、早く帰りたいと言う思いだけがチャトを支配していた。

 

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