2016年1月21日木曜日

二十四節気三、春温む啓蟄の季節


まだ暗い。東の方から少しづつ、まるでモノクロ写真のような

暗さからやがて白い光となってくる。

庭の梅の木から、紫陽花へ、そして名前の忘れた柑橘の木、最後には、

毎年赤い大きな花を咲かせるデゴニアへと、光が流れて行く。

その横には、小さな紫の身をつけた紫式部の木がひっそりと立っている。

しかし、梅の木の蕾以外、まだその色を見せているモノはいない。

ピンクの小さな豆のような蕾が褐色の枝に満遍なく張り付き、青み始めた

空に突き刺すようにその枝枝が伸びている。ピンクの蕾も冬の寒さから

開放されたのか少し緩いまとわりとなりその開花を待っている様でもある。

春が次第ににじり寄って来る気配を猫たちも感じているようだ。

チャトが少し顔を上げ、その空気のやわらかさを感じ取ろうとしているようだ。

少し前まで見せていた中空の月の姿は、今はなく、ただ青い空が

全天を照らしている。しかし、その蒼さも、家々の屋根近くでは

白く輝き、少しづつ蒼さを増しながら、天空へとその蒼さを濃くして行くようだ。

朝のしじまが少しづつ、昼の明るさと喧騒さに紛れ、一枚一枚写真を剥がすが

如き動きで、やがて朝の顔になって行く。

まだ白いものが残る比良山の山並が少しづつ後ろに流れて行く。目の前に広がる

蒼き湖がそれに合わすかのようにこれも少しづつ大きくなっていく。春の霞に

薄いベールを通して見るような沖島や八幡山の対岸の風景もどことなく

暖かさをもって見える。右手のやや深い森からは鳥たちの朝のさざめきがとき

に激しく、時に密かに主人の耳の届く。この坂も何十年と歩いた道ではあるが、

四季の色合いを感ずるのは、春である。特に、身体の衰えを感じ始めた4,5年前

から主人は、今まで好きだった秋よりも春に喜びを感じている。

薄暗い空が多くを占め、山と湖をその力で押さえつけるような冬の死に近い風情は、

死が近くなったものにとっては、何の慰めにならないし、寒さの中で縮こまる

自分の姿に情けなささえを覚える日々でもある。そのような季節から雨水、啓蟄

といった二十四節気のいう生命の息ぶきを感じる春は、今の自分にとって、

大きな慰めであり、勇気付けでもあった。足下に眼を落とせば、芝桜の可愛い

ピンクがあり、庭にはピンク、黄色、白など様々な色の花たちが一斉に咲き

始めている。名もなき雑草と言われる草たちも冬のややくすんだ緑や茶褐色

から光る緑へとその姿を変えつつある。歩き過ぎる家々の風情も、同じ姿で

あるはずだが、その醸し出す空気は緩やかな暖かさで和邇を包み込む。

既に、青味の増した芝生の上にルナはいた。主人を見ると、出迎えへの喜びを

身体全体で表している。尻尾を絶え間なくふり、前足をこちらに向け、いつもの

片足を上げる仕草で握手を求めて来た。眼を見れば、オッサン早く散歩に

連れてってな、早ようしてな、と言っている。ここで飼われてからまだ1ヶ月ほど

だが、すでに10年もいるような態度で、この孫娘はしっかりと主人を見つめていた。

リードを持てば、脱兎の如く坂を駆け上がろうとする。長いペットショップの

狭い空間で過ごして来た憂さをこれ以上ないような仕草で晴らそうとしているようだ。

しかし、想いとは別に、まだ体力不足なのであろう。主人を引き回すほどの

力はない。結局、この足の遅い老人の歩調に合わせて、やがてゆったりとした

歩みとなる。それでも、家の前に行く頃は、2人ともが、息切れが大きい。

何しろ、片方は4ヶ月近い闘病生活であったし、片方も3年近い狭い檻の中の

生活であったのだから。そんな二人に既に咲き始めた梅の花がその優しい

ピンクの色合いを染め付けている。遠くで、ウグイスの元気な声が聞こえる。

軽トラックのエンジン音が聞こえ我が家の横で停まった。

隣りの黒木さんは定年退職をしてから農作業を本格的に始めた。今では、どこから

見ても農家のオッサンの風情である。楽しそうにしているのが羨ましいほどだ。

朝は5時ぐらいから近くの畑に出かけている。朝寝の我が家では中々に難しい。

しかし、朝の早い猫たちは既に活動開始、ライとハナコはすでにお出掛けしているが、

主人に似たのかチャトはソファーの上でノンビリと朝のおねむの時間のようだ。

 

先日もママが慣れない家庭菜園をしているとニコニコ笑いながら立ち話。

「ようやく春らしくなったね、厳しかった冬も終わり、うちの家庭農園にも、

鶯の可愛らしい鳴き声も聞こえ、土の中に指を入れると柔らかな暖かみがあるね」

「畑の方はどうですか」

「先日、種蒔き箇所の天地返しから苦土石灰・有機堆肥を敷き込み、新たなる畝作り

をしてね、ちょっと頑張った。さあ、今年の春野菜の第一作は何を作付けしょうかと

思ってますよ」。

「元肥(有機堆肥)を入れて、男爵種芋の切り口には焼灰を塗り込めて植えつけると

6月頃には立派な男爵芋が取れるしね。」

黒木さん、農園の話となると、止まらない。ベランダに出ていたチャト、レトが所在

なさげに座っている。ライは盛んに両足で顔を拭いている。朝の化粧直しでもしている

かの様だ。ハナコは既に朝のお勤めか、すでにそこにはいない。

「ブロッコリー・カリフラワーを少しやってみようと思ってるけど、少し時期が早いか

もね。レタス類は、日毎に暖かくなれば結構早く成長するね。コマツナ・京ミズナも

手っ取り早く収穫できるから、夏野菜までの繋ぎで植えるしね。

まあ一応、春の第一作種植えを済ませたけど、どうなる事やら。

菜園の野菜は、手を掛ければすくすくと育ち、手を抜けば忽ち立ち枯れし、本当に正直

ですよ。これからずっと、散水・雑草抜き・虫退治と多忙になるな」。

黒木さん、喋るだけ喋るとそそくさと自宅に戻っていった。

後に残されたママはただその姿を見送るだけ、チャトが「ママも何かしゃべったら」と

言いたげにあの三角眼を投げかけていた。

ママも今年は小さいながらも菜園をしたいと思っている。家の周りを様々な花を植えて

季節ごとに玄関や裏のベランダ、更には横の植え込みに色をつけているが、それでも

満足できなくなった様で昨年からはトマト、茄子などをごく小さいその野菜畑に植えて

いる。

しかし、途中の水遣りができなくなった事から全滅であった。そのリベンジの

つもりから今年は野菜畑の土お越しを少し早めにしようと思っていた。

「今年こそ頑張って、少しでも野菜を育てるわ。今日は土お越しぐらいはしておこう」

「黒木さんから小松菜と水菜を分けてもらったし、まずはこれをやってみようと」

すでにその触る土も温かさを持ち始めている。掘る土からは春の匂いと少し湿った黒い

土の粒が手の中でうごめいている様だ。小さなミミズが身体をしきりにくびらせながら

ママの手の中で動いている。

まるで冬の寒さから解き放たれて嬉しそうな仕草でもある。

チャトとレトが既に伸び始めている雑草を美味しそうに食べている。

顔をその葉に直角に寄せて歯で引き寄せかぶりついている。

ママが引き抜いた草の根にはまだ冬眠でもしているのであろうか、玉虫の幼生が一緒に

ついてきた。まだ色付きのない庭にも、紫に白い縞の入った小さな花をつけた

クロッカスが5つほど密やかに咲いている。その色の艶やかさとは別に隠れるような

仕草で庭の片隅にいる。ママがそっとその花たちに息を吹きかけていた。

ベランダで寝ていたライが3人の様子を窺いにのっそりと庭に出てきた。

まあ、この人の興味は食べる事と恋すること、家を抜け出す事であり、3人の横を

通り過ぎ、ママにスリスリする仕草を見せながら玄関の方にノンビリと歩いていく。

 

そんなこととは露知らず、知っていても同じかもしれないが、ハナコはぶらりと

街の中を回り、街の入り口に点在する畑に向かっていた。暖かい空気に誘われ、

あまり行く事のない街の下の畑の様子を見に行こうとしていた。

途中、1丁目の黒白さんと出会った。

「あんたどこへいくん?」

「今日は珍しく暖かいし、下の畑にでも行けへんかな、と思ってるんよ」

「まだ猿がいるって3丁目のキジ虎が言ってたから気いつけよ」。

「猿って、うちのライおじさんが出くわした動物の事なん。でもまあ大丈夫と思うわ」

と呑気な挨拶を交わしながらも、ハナコはドンドンと去っていく。

少し坂を上がると琵琶湖が曇り空の下、幾つかの波状的な縞模様を

見せながら、やや黒ずんだ水面を見せている。後ろに控える比良の山並も

久しぶりの蒼い空をバックにその稜線をくっきりと浮き出させている。

そこからやや下り坂の大きな銀杏並木の間をゆっくりと歩を進めると、

道には緑の小さな手のような葉がその色を増しつつあるのが分かる。冬から春へと

言う時の流れが、彼方此方で、木々の姿を変えつつある。家々の間にあるうち

忘れたような空き地には、以前からその寂しさを見せつつ、一本の楓がある。

その楓も、緑の衣装を着こなすようになり、冬の寒さからやがて来る季節への

移ろいを身につけ始めていた。時たま見せていた春の断片が1つの形を成すように

春がどこともなく地上に揺れ立ちつつある。

やがて、杉の林の先に5段ほどに仕切られた畑が見えてきた。掘り起こされた土

が黒く幾重も重なり合って春の訪れを待っているようでもある。この小さな

谷間の土地にも間違いなく春が忍び寄っているようだ。畑の先にある川からは

ゆらりと光る川面の流れと対岸の竹やぶから聞こえるウグイスのさえずり、そして

川に沿った黄色の菜の花の帯がまだ枯れ色の多い中にもその色の濃さを増して

いる。黄色の帯びは更に上流へと伸びて、春が来る道筋を作っているようでもあり、

その途中には白い花をつけた梅ノ木が一つ黒い土をバックにして一層の白さを

見せている。川のそばの畦道に軽トラックがゆっくりと入ってきた。ここの畑の人

であろうか、春の陽射しを浴びながら、草取りを始めている。

川の下流にある公園からは、子供たちの飛び回る姿とはしゃぐ声が聞こえてくる。

ふと見れば、ハナコの足元の土が動いている。小さな虫が這い出してきた。その

暖かさに浮かれるが如く掘り起こされた土の上を精一杯の力で歩いていく。

薇(ぜんまい)、芹(せり)、土筆(つくし)、蓬(よもぎ)らの小さな草たちが

それを守っているようでもある。啓蟄(けいちつ )の季節である。土の中の虫たち

がうごめき始め、地上に顔を出し始める。冬の寒さは遠のき、野にも黄色い

菜の花が咲く。

そして春のお彼岸、生の息吹を感じながら先祖の霊に想いを馳せる。

ハナコもただじっとその行動を見ているのみ、むしろ驚いているようでもある。

「こいつは何者んよ、動いているけど食べ物には見えへんし、気色悪いわ」

ハナコのその鋭い嗅覚で探っても、それからは土の匂いしかしない。

ハナコにとってもあまり経験のないことであった。

そうしている間にも、虫は土に帰って行った。外の寒さよりも土の温かさに自分の

いるべき場所を知ったのかもしれない。

 

朝から昼になるに連れて春の光はその強さを増していた。

それに合わすかのようにチャトも朝のまどろみから醒め、その白い胸元と茶色の

背中を揺らすように歩いていた。久しぶりに湖岸の様子を見たくなり、ゆっくり

とした足取りで青白く幾筋かの波を見せる湖に向かってその歩みを進めている。

急な坂からは、琵琶湖の群青の光と銀色に輝いて走る電車が見えている。

家々からは少しづつながら春の匂いと色が漂ってくる。白い花が咲く誇る梅ノ木、

緑が濃くなりつつあるムクロジ、赤い中に黄色のオシベを見せる寒椿、様々な

色が様々な形でチャトの横を後ろへと流れて行く。坂を下り切った一角に小さな

田圃がひっそりと残っている。忘れられた様でもあるが、すでに土が起こされ

冬の間に耐えた力をその黒い色一杯に反映させているようでもある。

雀が十数羽、その上を激しく飛び回っている。土から這い出してくる虫たちを

狙っているのであろうか、その真剣な仕草からは春が来た以上の想いが伝わってくる。

その小さな畑を過ぎるとそこには湖が来ていた。

長く白い砂地が左から右へと大きな湾曲を描きながら延びている。

湾曲に沿ってまばらではあるが松林も続いていた。沖にはえり漁の仕掛け棒が

水面から何十本となく突き出し、自然の中のくびきでもしているようだ。

チャトのいる砂浜に向かってゆっくりとした波長をもってさざなみが寄せていた。

春は浪さえも緩やかにさせるのであろうか、冬に見たときのそれとは大きく違う。

チャトの10メートルほど先には、数10羽の鳥たちが青白い空とややくすんだ

色合いの青を持つ湖面の間に浮かんでいる。あるものはえり漁の仕掛け棒の上で

羽を休め、何羽かの鳥たちは遊び興じているようでもある。2羽のコガモが

連れ立って水面をゆっくりと進んでいる。やがて彼らもここを離れ、次の住まいへと

向かうのであろう。春は出発と別れのときでもある。

遠く沖島と少し黒く霞んだ山並を背景にして数艘の釣り船が浪に揺られ、釣り人が

その上で釣り糸を垂れている。そのモノトーンのような光景を見ながら、チャトは

この辺を住処としている野良猫のゴローの事を考えていた。

砂浜の切れるところに港がある。古来よりこの地域は魚を取る事を生業とした

部族が住んでいた。このため、ここから北へ向けても幾つかの漁港がある。

ゴローたちは漁港の魚を狙いながら住み着いていた。

4年ほど前に主人とともにこの港に来た時初めてゴローと出会った。それ以来

毎年数回は、ここを訪れる。ゴローもチャトと同じ様な黄色と白の毛並みを

した雄である。身体はチャトよりの少し小柄だが、喧嘩はめっぽう強い。

チャトがここでノンビリ過ごせるのは、ゴローのお陰かもしれない。

チャトもこの虫が這い出すようなこの季節に来る事が多い。寒いのが苦手なチャト

にとって、温かみが増すこの頃がちょうどタイミングが良いのであろう。

横で黒いものが動いた。

「お前何やってんねん、久しぶりやな」。ゴローであった。

冬の間、どう過ごしたのか分からないが、相変わらず精悍な顔をしている。

「少しぬるくなったんで、ここまで散歩ですわ」。

「相変わらず、ぶくぶく太りおって早死するわ、ここで野良生活を暫くすれば

ちっとはスマートになるやけどな」。

「人間どもの世話になるのは猫族として恥かしいと思わなんか」。

前回、会ったときもそうであるが、ゴローは独立心が強くチャトが人間と同居

している事に不満を持っている。

温かい風が2人を包むように流れて行く。比良の山にはまだ少し白いものが見えるが、

冬の間、黒々としていた山肌にも、少し緑色が交じり始めている。やがてそれが

黄緑となり、青さのある緑となって光り輝く緑色を見せるのだ。

2人のいる草むらの影も少しづつ東に伸び、春とはいえ夕暮れになると

まだ未練がましい冬の気配が、その姿を見せてくる。

坂の上は燃え上がっていた。やや赤みを帯びた橙色が、坂の上を支配しているように見

える。

同じ様に、空もたなびく雲に、その色を投じている。

 

私は、ゆっくりと坂の勾配に逆らいながら、自身の重さを恨みながら進む。

そして、思う。歩くのでも、そのスピードによって、見るべき風景と見られるべき

風景が違うことを。まだ若く体重ももう少し少なかった以前であれば、見られて

いないであろう家々の小さな変化が今は、はっきりと眼に飛び込んでくる。

庭に咲いていたであろうコスモスの枯れ具合の違い、既に空き家となった家の

少しひび割れた壁の変化、少し移動した庭の椅子、など。

枝振りの良い花見月の小さな芽が心地良い感触を伝えてくる。

坂の上に登りきると、西の山並には、まだ、先ほどの橙色の残照が残っている。

後ろを振り返れば、琵琶湖の水面が、青黒く輝き、遠く伊吹の山並までが見える。

カラスが一羽、電柱の上からこちらに向かい、かあー、かあーと呼びかけてくる。

夕食の美味しそうな匂いが辺り一面を支配している。

少し早い子供たちとの団欒、ここにも、1つの生活がある。

周りを見渡せば、既に、家々の明かりが灯り、道路にその光を投影している。

考えてみれば、今日はゴローさんとの話が長く、昼飯を食べていない。

腹が減った、あらためて空腹感が押し寄せてきた。

主人とママの顔が浮かんできた。

 

ふと、後ろを振り返れば黒く長い影がチャトの身体から伸び道路の端で消えている。

その寂しげな姿、早く帰りたいと言う思いだけがチャトを支配していた。

 

前田夫婦の登場


前田ママは、京都に住んでいるのだが、ママと同級生であることもあり、

ご主人と出かけるのが好きなこともあり、滋賀の近くに来ると我が家に

寄ってからミニバンを駆って、夕刻戻っていく。

その間、概ね4時間。

慌ただしく入ってきた前田ママの後から、鬚面のご主人がのそりと

現れた。チョット、恐い様に見えるけど、これが、無口で、優しい人で、

これだけ顔と気持ちにがギャップがある人も珍しい。

前田ママの第一声。

「今日は、大変だったのよ!途中の道が混んでて、全然、進まないし、

一本道だから、降りるわけにも、行かないし、散々よ」

「最近は、土曜日は凄いのよ」ママの適当なご返事が続く。

「今日はね、近江八幡にある休暇村でお風呂に入って、食事して、、、」

「今度、秋頃、また、シニアの演劇があるから切符送るわね」

「お店の方は、息子が頑張っているけど、チョットやり方が

下手でね、お客さんから文句も出るし、ドウショウ?」

「最近は、60を越すと、店で立つのも、しんどいね!」

 

ここで、初めてママにご質問あり、ここまでの所要時間約20分。

前田ママは、一気に近況報告をしている。

「ママの方は、最近、どうなの?」

「私も、最近はチョットお疲れよ!年寄り相手では、ホントに

疲れるわ」

前田パパと主人は、その間、横で閑そうな顔をして、大人しく

2人の会話を聞いているのみ。

ハナコが、周りの雑音がうるさいとばかりに、大きなあくびをして、

何時ものように、尻尾フリフリ出て行った。

 

少し、前田夫婦の説明をしておこう。

前田ママは、京都の自宅の横で、喫茶店をしている。前田パパは、

一応、定年退職したが、公務員の良さか、天下り的な職場で、

ノンビリとお仕事。ママは、シニアの演劇グループで、主役級の

役回り、結構乗っているようである。パパの方は、実家の農家を

手伝いと庭木の手入れが趣味、いずれも、話すことが必要ない

毎日でもある。

夫婦とは、上手く出来たもので、2人が無口だと、中々、その場が

盛り上がらないものであるが、前田ママの方は、一度話し出すと

30分ほどは、彼女の独壇場でもある。前田のパパは、いつも、傍で

ニコニコと、まあ、布袋様のように聞いている。

ある作家の先生が書いた猫の気持の中で、

「人間の心理ほど解し難いものはない。この主人の今の心は怒っているのだか、

浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰労を求めつつあるのか、

ちっとも分からない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交じりたいのか、

下らぬことに癇癪をおこしているのか、物外に超然としているだかさっぱり

見当が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ

寝る。怒る時は一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などと言う

無用なものは決してつけない。、、、、吾等猫続に至ると行住坐臥、行し送尿

悉く真正の日記であるから別段そんな面倒な手数をして、己の真面目を保存する

には及ばぬと思う。、、、、

人間の日記の本色はこういう辺に存するかも知れない。

  先達ては、朝飯を廃すると胃がよくなると言うたから止めてみたが、、、、、

  これからは毎晩二三杯づつ飲むことにしよう。

これも決して長く続くことはあるまい。主人の心は吾輩の目玉のように間断なく

変化している。何をやっても永続のしない男である。その上日記の上で胃病を

こんなに心配している癖に、表向きは大いに痩せ我慢するから可笑しい。」

とある。主人にしても前田のパパにしても、人間の分からないことは多い。

主人と付き合いの深いチャトでも、時たま、この人は何を考えているの、

と思う事がある。増してや、我が家に時たま顔を出す人間は、なんとなく

安全パイの人間とは思うが人間のずる賢さに悩まされてきた猫族にとっては、

その本音を知るのは中々に骨の折れる事でもある。

前田パパが、スーと立って外へ。先ほどから、我が家の小さな庭

にある梅の木が気になるようである。

主人は、寝ているか起きているのか、分からない何時もの目で、

ニコニコと2人の会話を聞いている。

人間とは、不便なものである。

これを愛想使いと言うのだが、聞きたくも無い話を辛抱強く

聞いている。

げに不思議。我々猫族なら、「お前、何をしたいの?」

の極めて簡単フレーズで、終わる。その所要時間約2秒。

しかも、この長さは、猫族にとっても、中々にヨロシクナイ。

上の4人は、腹が減ってきた。

 

ライ 「チャト兄貴、腹が減りましたね!」

チャト「お前は、直ぐに腹が減るんだから、少しがまんし」

レト 「でも、私も腹減った」

腹減りの大合唱です。

 

しかし、下のご飯を食べに行くには、前田ママの直ぐ横を

通る必要がある。

行きたいけど恐い。恐いけど行けない。

ライは迷っていた。時に、腹が減るのが早いライにとって、

そろそろ我慢の極限に近づいていた。

一歩、そろりと足を出し、様子を見ては、後づさり。

まるで、獲物を狙う虎の如しである。

 

「あら、あなたはだれ?」突然、ライの頭の上から大きな声が

した。前田ママがライに気付いた。

暫し、ライは、右足を上げたまま動けなくなった。

「やばーーー、うるさいのに、見つかった!」

そこで、かのライさん、例の黄金の微笑を返す。

眼を大きく見開き、じーと前田ママを見た。

「うわー、この子、可愛いわね!私をじっと見てるわ」

ライ、突然身体が浮き、前田ママの膝へ、クレーンが荷物を

運ぶが如く、膝へ直行。

 

人間との付き合いで、犬族は、猫族よりも、大分長いと、

我が家に来る犬好きの太田さんがよく言っているが、猫族

は、大昔の奈良時代に中国から来たとのこと。

これは、猫好きなある大学の先生が言っていたのだから、

確か、もっとも最近の「確かは不確か」にも通じているよう

であるが、とは思う。それ以来のお付き合いなのだが、

猫族にとって、まだまだ人間は不思議な生き物である。

例えば、今の前田夫婦の話しである。広島での水害被害、

福島の震災復興の遅さ、ガソリンの高騰、小学生の女の子の

殺された事件、など話題は猫族の頭の容量を越すほどである

のに、この数時間、全くそんな話が出てこない。

我々猫族の間でも、隣のトラさん、愛しの三毛さん、結構

井戸端会議、猫族では塀会議で、話題になっているのに。

取り留めのない話が数時間、続いた。

これで、人間たちは、お互いが満足し、「今日は来て良かったわ」

「結構、楽しい時間でした」「また来るね」と終わる。

既に、前田ママの膝から開放されたライ、他の4人は、既に、

その周りでお食事中だが、何が良かったのか、楽しかったのか?

猫族には、さっぱり不明。

もっともチャト曰く、これが人間世界よ!

なるほどと頷く、4人。

既に、外は、黒い帳の中に、僅かに光る街灯と家々の窓辺の光の

世界である。夏の暑さは、まだ回りの空気を支配しているかのように、

立ち込めてはいるが、天空の少し光り始めた星空の下では、

それも余り気にならない。遠く比良の山が黒く立ち並んでいる。

 

東の空が、少しピンク色になり、やや赤みを帯びた橙色、そして、

赤く、透明の空になって行く。ライは、そわそわしていた。

主人とママは、まだ、2階でぐっすりと寝ているようで、物音一つ

しない。何度か寝室の前で、ニヤオー「早く起きてよ!」

というのだが、全く無視された。

朝日が、一斉に降り注ぐ頃、まず、主人が眠気を半分背に負った

様に2階から降りてきた。

ともかく、我が家から出て、3丁目の三毛さんの家に行かねば、

焦るライである。

主人に何時もより激しいスリスリ行動とやや語気を荒くニヤオー

(早く、この雨戸を開けて俺を出せよ、オッサン)の連続攻撃である。

我が家を飛び出すライ、愛の力は種族に関係なく強いのか、ただひたすら、

3丁目の三毛さんに脱兎の如く駆け抜ける。

既に、馴染んだ風景だが、やや古びたレンガ塀、外にせり出した

生垣、黒い塗料の剥げ落ちた鉄柵など、ライの横を走馬灯の如く

流れて行く。

まだ白い花の残る花見月と黄色に色づいたゴールデンクレストのある家、

三毛さんの家である。いつもは、その前の庭にノンビリと寝ているはずの

三毛さんは、今日はいない。

ライは、そーと庭に入って行く。その心の高ぶりを抑えて。

「あの人は何処に行ったの?」

「今日は私の秘密の場所に、2人で行きましょう」

と言われた時のあの「胸キュン」が思い出される。でも、、、、、

庭の既に、花の落ちた紫陽花の茂みの中で、ライは待った。

「秘密の場所?何処なのかな、やっぱり俺が好きだから、そこへ

行こうって事かな」

その妄想は、とめどなくライの心に広がって行く。

朝の柔らかな陽は既に、その強さを増し、木々の影もその長さを

少しづつ短くしていく。夏の陽は、ライの身体を差し抜いていく。

しかし、ライの見つめる先の芝生の先には、誰もいない。

静かな機械の音が一つ、申し訳なさそうに、鳴いている。

 

ライは、良く主人が聞いている「恋唄綴り、堀内孝雄 」

を思い出していた。

「涙まじりの 恋唄は  胸の痛さか 想い出か

それとも幼い あの頃の  母に抱かれた 子守唄

ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 飲めば 飲むほど 淋しいくせに

あんた どこにいるの   あんた 逢いたいよ

 

窓にしぐれの この雨は あすも降るのか 晴れるのか

それとも 涙がかれるまで 枕ぬらして かぞえ唄

ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 泣けば 泣くほど 悲しいくせに

あんた 抱かれたいよ  あんた 逢いたいよ

ああ… 夢はぐれ 恋はぐれ 飲めば 飲むほど 淋しいくせに

あんた どこにいるの  あんた 逢いたいよ」

 

中天の陽は、既に西に傾いていたが、ライは、彫像の如く、茂みの

中にいた。恋は、新しい力を付けるのであろうか。諦めの良さが

ライの信条であるが、今回は大分様子が違うようだ。

でも、三毛さんのあの優美な、と本人は思っているが、姿は、

かき消された様に、現れなかった。

我が家へ向かうライ。

夕陽に向かい長い尻尾を引きずりながら、悄然と歩いて行く。

その後を長い夕陽が追いかけていくようだ。

今日も、その一日を終わらそうとしている。

  

平和とは何だろう。

猫族にとっては、毎日3回、ドライフードとチョット美味しい猫缶詰

がタラフク食べられること。それでは、我が主人とママは、どうであろうか。

今日は、8月15日69年目の平和である。

主人とママがテレビの番組を見ている。

集団的自衛権、積極的な平和主義等、いくつかのキーワードが喧伝されている。

既に、第二次世界大戦が終わり、日本が負けて69年である。私も67年目である。

平和の中で、日本人の多くが猫族も含め、過ごして来た日々である。

でも、主人曰く、自衛隊幹部生の日常記録である番組を見ながら、

「あいつら、どこか緊張感がないね。他の仕事と同じ様な感覚ではないの?」

の一言。確かに、人を殺すと言う狂気の瞬間を味わっていないのだから、

彼らの今の頑張りは、災害救助などで発揮されるだけ。

いつも、一言あるママは、無言。しかし、

「でもね、自衛権の拡大が拡大しようが、限定的であろうが、日本人が自身

の生命を賭す事が必要となる事をきちんとすべきよ!

他国の人が日本人のために命を失う事で日本の平和が保たれるのは、おかしいわ。」

これには、チャト含め、猫族一同は、そうだと、頷く。

チャト曰く、「私なんぞは、身体を張って、自分の縄張りを守っているのに!」

ごもっとも、そのたびに、主人に慰められているんですから。

そんな折、主人がある日、チョット感激した様子で、ママに言っていた。

「最近の中学生も、何も考えていない大人より、しっかりしているね。」

その作文の抜粋をみて見る。

ーーー

チョット長いが、ある3年の作品より、

表題は、訪れなかった出発からの再生。

「出発、この言葉で人はどのようなことを考えるだろうか。明日への出発、

輝ける未来への出発など、明るい言葉が浮かぶのではないだろうか。

しかし、私がこの夏に読んだ本では、全く違っていた。島尾敏雄の

「出発は遂に訪れず」の舞台である昭和20年の日本では、出発とは、

「死」であった。多くの若者が戦地へ赴き、また特攻隊としてその

「命」を散らせた。ーーーー

米国からは「カミカゼ」と恐れられ、国内では軍神とあがめ立てられた行為。

歴史の教科書に出てくるのは空で散った特攻などであり、陸や海上で

進められた特攻作戦はあまり知られていない。ーーー

著者である島尾敏雄が、28歳という若さで指揮官として配備された

第18震洋隊は、ベニヤで作られた簡素な小型艇に250キロ爆弾を搭載し

敵艦に直角に突入する部隊である。

彼の部隊は、終戦間際の8月13日に出撃命令を受け、軍服を身にまとい

自決用の手榴弾を持ち配置についた。だが、いっこうに発進の合図が出ず、

2日後の8月15日を迎えた。彼はどのような思いで出撃命令を待ち、

聞き、終戦の知らせを聞いたのだろうか。

今は亡き私の大伯父は、陸軍士官学校を卒業し戦場へと赴いた。

「死」を覚悟して、戦地へ行き、終戦を迎えた。幸いにも、大伯父に

「死」が訪れることはなかった。しかし部下や友人には「死」が訪れたのだ。

大伯父の書斎には、戦争に関する書籍があふれていた。大伯父は「戦争

とは何だったのか。」について自問自答をしていた。

大伯父達は若くして戦争という大きな体験をし、生きること、死ぬこと

の重さに正面から向き合った。今の私たちには、死と隣り合わせの日常は、

想像することも難しい。ーーーーーー

時は「死」がとても近くにあり、しかれた道の上に「死」があったのだ。

皆、同じくその道の上を進むはずだった。しかし、終戦によって唐突に

その道は消えたのだ。自分が悩み苦しみながらも、国の為、家族の為に

受け入れた「死」から、人々は突然解き放たれたのだ。ーーーー

島尾敏雄は、終戦を迎え安心した自分がいる反面、それまで「死」に

向かって生きてきた自分との価値観の違いに苦しんだ。ーーーーーー

私は、幸いにも死を肌に感じたことはない。また、死と向き合ったこと

もない。しかし、65年前、当時の人々のすぐ近くには死があったのだ。

私は知らなければいけない、彼らの見た時代を、彼らが感じた死を。

当時の事を知っている人達は、年々減ってきている。私は聞かなければ

ならない、彼らの声を、思いを。

死を身近に感じることが少ない時代、そんな時代だからこそ、私は噛み

締めなければならない、大切にしなくてはならない。

彼らが得ることができなかった平凡な日常を、駆け抜ける事が

できなかった青春を。

何を平和と言えるのだろう。」

 

平和、そして、死、あまりにも平凡な言葉だが、これを享受できている

我が家と5人の猫たち。主人やママの友人も、戦後生まれであり、また、

このような話題をしたことがない。

更に、主人は、別の中学生の一文をママに言っている。

 

「戦後、急激に進化した日本は、進化と共に過去を見る力が弱くなって

いるような気がします。日本人全員がそうというわけではないけれど、

平和な日本で生まれ、平和な日本で生きる人達が増えるこれから、

「平和が当たり前。」「戦争なんか自分達には関係ない、勝手に

やってれば?」なんていう考えをもつ人も増えていくかもしれません。

確かに、未来を見ないと前へは進めないけれど、だからと言って、

過去があって今があり、今があるから未来がある、つまり過去が

なければ未来もない。人が未来を求めていくなら過去を捨てては

いけない。私達、特に子供は、日本の平和を望んで戦死した人達の

為にも、これからの日本を平和に、でもだらしない平和にならない

ように生き、未来を作るべきだと思います。」

 

しばらくは、お互い、無言、ライがその気配を感じて、何か俺、

悪いことをした?と言う顔でママを見ている。

 

しかし、これには、少し続きがあった。

主人は、結構肩こりが激しい。良く施術院に行くのだが、そこの

太田先生というのが、施術をしながら、時の話題を良く主人に

吹っかけてく。正に、吹っかけてくるのである。何も、先日、我が家で

あった話題を肩こりを治すために来ている処で話す気はさらさら、

なかったのに。

「先生ね。」

彼は、主人がコンサルタントの仕事をしているのを知っているので、

良くこう呼でいる。でも、この「先生ね」が恐い。彼の弁舌が始まる

予兆でもある。

「先生ね。良くテレビで、イスラム国の脅威と言うのが、言われている

けど。彼らはどうしたいんでしょうね。

イスラム国には、80カ国の国から1万5千人以上の若者、兵士として

来ているって言ってたけど、昔は、国のために命を捧げるとか、だった

けどそんなのお構いなしの戦争みたいね。

当事者も、関係する国のトップも含め、誰も制御する事ができない状態

っておかしくありません。やっぱー、インターネットで、人のつながり

や情報がより広く拡散して行くとこうなるのかな?

人の行動も大きく変わるし、それらの情報が各国民の貧富や思想の違い

が様々な不満を生み出して行くんでしょうかね。

これって、結構、日本も無関係ではなく、やがて同じ様に変わるはず

ですよね。」

太田先生、結構、的を得た話をしている。でも、主人、肩がほぐれて

きたのか、施術台で、やや熟睡中。

そんなのは、お構いなしに、太田先生の弁舌は、まだまだ、続いている。

でも、これが、平和と言うのかもしれない。

主人は、心地良い中で、ふと思う。

 

でもね!「多くの若い人は、自身の存在意義が見えないで、何と無く、

空疎感が漂っているようだね」と主人が、突然、一言。

 

そして、ちょうどその朝、仕入れたのだが、チョットモッタイブッテ

彼には、珍しくお話を始めた。

 

「7年前に、以下の様な一文を書いたフリーター赤木智弘がいるって。

彼のブログによると、「我々が低賃金労働者として社会に放り出されて

から、もう10年以上たった。

それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを

押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けば

このような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を

生み出してくれるかもしれない何か――。

その可能性のひとつが、戦争である。

識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、

現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、

そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、

社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる

可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間

として当然の欲求だろう。

そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念な

ことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差

は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ、、、、」。って?

 

これには、太田先生も吃驚。大人しく聞き入っている。

「へえ、そんなもんですかね!?」

今、太田先生の頭の中は、「戦争と平和が、振り子のように左右に

動いているのであろう。

 

ナナは、最近不満が溜まっている。

既にこの家で過ごして、16年となるが、最近は、他の猫族からは、

年寄り扱いされ、主人とママでさえ、ナナは本当に元気ね!!と

喜んでよいのか?あまり年寄り扱いするな!と怒るべきなのか、

迷うべきなのか。

「でもね、人間だって、凄く年寄りが多くなって来たって、主人が言って

いたし、隣の街を歩いても、なんか廃墟みたい静かよ。時たま会うのは、

犬の散歩に出て来た元気のない年寄りばかしだわ。私の方が元気なくらいよ」

とぶつぶつと独り言。

「私は、チャント家にも帰れるし、名前もチャント分かっているし、まだ、

1mほどのジャンプも出来るし、そこいらにいる人間の年寄りと同じく

してもらいたくないわ。むしろ、私のこの慎ましやかな生活態度を見習って

欲しいものよ。食べるのは、主人が出してくれるモノをキチンと食べ、朝と

夜は食後の運動に出かけ、ママと一緒に寝て、なんとこの規則正しい生活

のリズム、私って凄いと思うわ」と一人、悦にいっているナナである。

確かに、人間世界で起きている「老々介護、痴呆症、独居老人」などは、

無縁の世界かもしれない。

それに対して、ナナは、無性に腹が立つのである。

で、その結論は、「人間がもっとしっかりしないから猫族まで、同じ様に

見られるのよ」、ごもっとも。

確かに、地域で目標を持ち、キチンとした生活リズムを持った方は、90歳

であろうと、元気な方も多いし、そのような地域も少なくないと聞く。

 

16年前に、主人と特にここの長男が琵琶湖にある家に引っ越すとの強い

思いがあり、まだ生まれたてて目の見えない、排泄も、容易に出来ない

ナナを連れて移ってきた。

「その時分は、周りには、結構、面倒見のよい猫と先輩のトト姉貴がいて、

街のハズレから大通りのある南のハズレまで良く出かけたものである。

もっとも、生まれたばかりの私ですし、排泄するために毎回、家族総出

で、特に、世話好きの長男と私の拾い主である3番目の息子が私の

お尻を刺激して、排泄の手伝いをしてくれたり(猫族は、生まれたてでは、

そうしないとウンチが出ないのよ。人間がトイレで気持ちよくウンチを

出すのにトイレウォシャーを使うのと同じね)、ミルクをくれたりして、

気楽には、過ごせたものよ。ただね、少し過ぎた時に、トト姉貴に

誘われて出かけたものの、途中で放りだされた時には、さすがにもうダメだ

と思ったものよ。1ヶ月ほどわけも分からずウロウロして、野良猫生活

になろうと言う寸前にこの家を見つけたのよ。家中で、写真入のビラを配ったり、

知っている人に聞きまわったり、色々と探しまわった様で、あの感激ぶり

はすごかったわね。

しかし、私も年を取ったものだ。周りの猫族も知った顔は、既に街の

一番東にいる茶黒の縞のあるクロオビさんだけになってしまった。

なぜクロオビ、というとちょうどお腹の辺りに黒い縞があり、まるで

クロオビをしている様に見えるから。更に、喧嘩の強いのも、

一つありかも。私も来た時に、その強さに惚れたものだけど、トト

姉さんが「あいつは私のものよ!ナナは、手出し無用よ!」の一言

で、初恋は消えたの。

でも、6年ほど前にトト姉さんが、不慮の事故でなくなってから

少し付き合ったけど、あの亭主関白な態度が気に入らずに別れたの。

結局、私たちは、赤い糸で結ばれていなかったのね。」

まあ、この辺は、人間世界と同じかもしれない。それ以来かどうか

不明であるが、ナナは短気となった。主人もママも手や足にその爪あとが

幾つもある。身体を洗う時など、2人とも、かなりの覚悟でやらないと

ナナの爪の犠牲となるからだ。ちょっとした事に怒り出すし、少し

機嫌が悪いと、他の4人に直ぐに喧嘩を仕掛けるのだ。とても70歳以上の

老婆とは思えない。猫にも、更年期障害とやらがあるのかもしれない。

 

 

その3

朝ごとに、太陽が地平線上に顔を見せてやがて天頂に達し、

夕方には沈んで、一日が別の一日へと道を譲った。

その変化を見ながら、チャトは、自分の身体が弱っていくのを感じていた。

そして、この十数年を過ごしてきたソファーに身を委ねながら、

空とその下で刻々と変化する大地を見つめて長い時間を

過ごした。比良の頂が昇りゆく太陽の光りを背に金色に照り映え、

その輝き映す家々の窓が、一つまた一つと強烈なオレンジ色に

染まって燃え立つように見えた。日暮れ時、木々の影が長くなり、

地面にもう一つの林が闇で出来た林とともに、出現しかかったようだ。

早朝の霧をついて車が通り過ぎ、乳白色の靄の中から散歩に行く人であろうか

静かにチャトのいる窓辺の横を過ぎて行く。

遠くの丘の形が柔らかく平らになって、視界が開けているが、その先は見渡す限り

穏やかな緑色が続いていた。道路の向こうには、石積みに囲まれた畑が朝陽に映えて

柔らかい光をこちらに向けている。

その光の中に、後数日の命である事をあらためて感じていた。主人の大きな声と身体が

己が身体を包み、ママの優しい声が心地よいリズムを与えている、そんな感触の中、

病院で拾われ、負けた時に慰められ、他の4人との楽しく過ごしてきた日々のことが

目の前に浮かんできた。仙人猫の「猫は輪廻転生、身体は死んでも次の新しい世界に

生きていくのだ」、と言われた事を思い返す。出来ればまたこの家の住民として再生

出来たらと思っても見る。